松浦果南系

果南ちゃん

「力をあわせて夢の海を泳いで行」、及び果南ちゃんの詩的素養について

アニメ「ラブライブ!サインシャン!!」8話で果南ちゃんがホワイトボードに書いていた歌詞、

「力をあわせて夢の海を泳いで行」(シーン①)が果南ちゃん界隈で注目を浴びています。

 

シーン①

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ホワイドボード上に書かれた歌詞と言えば、4話でAqoursが部室に初めて入った際に書かれていた歌詞が当然思い出されます。この書き跡は4話の時点では読み取れませんが、5話の部室シーンからある程度読み取ることが出来ます。

 

シーン②(下線部は筆者)

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シーン②の歌詞も果南ちゃんが書いたものと考えるべきでしょう。わざわざ果南ちゃんが作詞するシーンを出しておいて実は違う人の書いた歌詞だと考える理由はありません。

 

5話は7話と共に果南ちゃんが出なかった回として有名ですが、実はちゃんとこういう形で出ていたと言えますね。7話にも出てたし実は毎回出ていたんですね。

divefeelinggood.hatenablog.com

 

ところで、これらのシーンには共通して「海」という文字が写っています。では、この二つの歌詞は同じ歌詞なのでしょうか。

 

目を凝らして二つのシーンの歌詞をよく見比べてみましょう。

 

シーン①-α

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シーン②-α

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いかがでしょうか? 歌詞の数自体が増えているのは置いておくとして、

 

「海」の文字の形が若干違いますね。

 

それに加えて、歌詞の前後の文字も、はっきりとは見えませんが「夢の」「を」とは異なっているように思えます。

シーン②で見えている「海」の歌詞は、「…今日は海色…」でしょうか? 「色」の部分は「を」にも見えますが、前の部分は「夢の」とははっきり違います。

他の部分の歌詞は、「…故に…」「…ってた…」「…いまは■■■いから…」が読み取れます。

 

「…いから…」の前の部分はマジックで消されていますが、私には「わからないから」に見えました。Aqoursの曲の中で「分からない」という言葉が頻繁に用いられているからでしょう。でも文字数が違いますね。何を言っているんでしょうかこの人は。

 

幾分話が逸れましたが、結論としては、「シーン①で果南ちゃんが書いていた歌詞とシーン②でホワイトボードに残っていた歌詞は、別物である」ということを言いたかったのです。

 

こうして二つの歌詞が別物であることが分かりました。この結論が意味するところは何か? それは果南ちゃんが「海」を含む歌詞を少なくとも二本以上書いていた、ということです。海が好きすぎて海に関する歌詞を書きまくっちゃう果南ちゃん…

 

かわいいですね。

 

というかそもそも、このシーン自体があまりに自然に通り過ぎていて、また果南ちゃんが動いてる!喋っている!っていうことに気を取られて気付きませんでしたが(今気付いた)、

 

この作詞方式自体がすでにかわいいですね。

 

μ’sの作詞担当を思い出してみましょう。海未ちゃんがこんなあけっぴろげに歌詞を書いている姿が思い浮かびますか? 試しに想像してみましょう。

 

穂乃果「たまには海未ちゃんが作詞してるとこ見たいなぁ」

ことり「海未ちゃん、今度ホワイトボードに歌詞を書きながら作詞してみてよ!おねがぁい♪」

海未「はっ? ホワイボードに? 公開で??? ハ、ハハハハッ、ハレンチです!!!」

 

と、こうなること必至でしょう。また、現状Aqoursの作詞担当である千歌ちゃんですら作詞ノートを持っていましたし、ホワイトボードで作詞する気配は微塵もありません。(海未ちゃんや千歌ちゃんがかわいくないということではありません。念のため。強いて言うならば私は果南ちゃんが好きだということです。)

 

海未ちゃんの作詞ノートが置きっぱなしになっていてもし誰かに見られたらどうなるか、誰もが一度は考えたことがあると思いますが、それを果南ちゃんはセルフ開示しています。ハートが強すぎる…

 

言うまでもなく、これは海未ちゃん側がどちらかというと正常なのであって、果南ちゃんの作詞態度は少々変わり者的と言うか、ズレた感覚ですよね。僕が言いたいのはもちろんそのズレた感じがかわいいということなのですが、 なぜ果南ちゃんにとってこのような作詞態度が可能になるかも含めて、後述にて考察していきたいと思います。

 

さて、以下に於いて本来考察しようと思っていたことは、果南ちゃんの詩的素養、或いは果南ちゃんが作詞担当であることと果南ちゃんの果南ちゃん性との整合性についてです。要するに、「なぜ果南ちゃんが作詞をしているのか」ということについてです。

 

本考察は、果南ちゃんが作詞担当であることの必然性を主張するものではありません。つまり、「これこれこういう根拠があるから果南ちゃんが作詞担当でなくてはならない」ということを言おうとしているのではなく、「果南ちゃんの中にはこれこれこういう作詞に適した素養がある」といったことを見出していこうとするものです。

また、考察材料としてアニメ以外の諸媒体から知りうる果南ちゃんの情報を用いていますのでご了承ください。

この理由は、アニメの果南ちゃんは果南ちゃんというキャラクターにスクールアイドルに関する諸事件という変数を加えた結果として生成される果南ちゃんの諸様相を描いた果南ちゃんだからです。

要するに普段の果南ちゃんの描写が少ないからです。

普段の果南ちゃんについては、プロジェクトラブライブ!が展開する複数の媒体におけるライブライブコンテンツ、すなわち雑誌「G's Magazine」やスマホアプリ「ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル」等の内容から窺い知ることが出来ます

 

果南ちゃんの持つ作詞に適した素養として、私の果南ちゃん観から取り出しうる材料は以下の3つです。

 

①自然を愛している

②海に潜るが故の「独りの時間」

③「好き」の表現が得意

 

以上の三点について、順を追って説明していきます。

 

①自然を愛している

 

自然を愛することが詩的素養の涵養に繋がるということについては理解に障らないでしょう。人間は自然の息吹を感じることで豊かな感性を育まれていくと言われています。イギリスのワーズワースや日本の松尾芭蕉など、自然を詠んで名声を博した詩人は枚挙に暇がありません。

 

果南ちゃんが自然を愛する人だということは、ダイビングショップで働いていて海に近い存在であること、常に水に濡れていないと生存できないこと等からアニメでも比較的想像しやすいところです。アニメ2話の「海の音」に関する部分からは、海に対する思いが詩的思索に結び付いていることまで見て取れると考えてもよいでしょう。

 

こうした果南ちゃんの海に対する思いは他媒体でより顕著に表れています。スクフェスの果南ちゃんのストーリーを除くセリフにおける「海」を含むセリフの数は全79種類12種類に及びます。

 ・Aqoursに興味を持ってくれた人に内浦の海と空のことも教えてあげたいな

・一緒に海に行こうよ! すごく気持ちいいからさ♪・

海も空もすごーーく広くてさ。自分はなんて小さいんだろうって思うよ。etc...

 

G's Magazineにおいてもその海好きは存分に発揮されており、果南ちゃんのコメントはおおよそ半分以上が海に関係するものとなっています。

 

・小さいころから、ダイビングをやっていて。何の疑問もなく、いつも海の中の世界は自分のそばにありました。(出典: "Aqours DIARY 松浦果南より",「ラブライブ!サンシャイン!! FIRST FAN BOOK」, p.111)

etc...

 

 

 

また、コミック版の冒頭ではのっけから果南ちゃんが海から飛び出してきます。

 

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もはや果南ちゃんは海と不可分の存在と言っても過言ではないでしょう。

アニメに出ている歌詞にも海が使われていますし、そこからも果南ちゃんの海好きが伝わってきます。

 

また、果南ちゃんが好きなのは海だけではありません。プロフィールの趣味の欄には「天体観測」とありますが、これに関してはスクフェスで以下のように発言しています。

 

・海に潜るのも好きだけど、星を見るのも大好きなんだ! 部室に天体望遠鏡持ち込んじゃおうかな?(出典:スクフェス・ダウンロード画面)

 

天体観測への熱い思いが伝わりますが、何より素晴らしいのは自宅に天体望遠鏡を所持しているということです。なんてロマンチックなのでしょう。好き。

 

以上、簡潔にではありますが、果南ちゃんの海と空に対する愛情について紹介しました。このように海と空を愛している以上、その気持ちは自然そのものに対する愛情へと広がっていくでしょう。

このように果南ちゃんの自然を愛する気持ちが詩情に繋がっていったことは想像に難くありません。

 

②海に潜るが故の「独りの時間」

 

詩情を膨らませるのに最も適した人数が「独り」だということは、だれしも経験のあることでしょう。人間一人になると色々なことを考えるものです。

 

果南ちゃんが海に潜るときは独りです。複数人で潜ることもそこそこありそうですが(例えば4話ではダイビングショップのお客さんとダイビングを楽しんでいたようでした)、おおよそ一人だと思います。

 

果南ちゃんが海に潜っている時間は同年代の平均と比べて相当長いと思われますので、それだけ独りの時間も多く持っていることでしょう。

 

海中の独りの時間で、自然の神秘や人間の生き方、あるいは独りであるが故に逆に人と人との繋がりについてなど、様々な思索が巡らされたことが想像されます。

 

・伊豆の海は、濃く青く。南の島みたいな明るさはないけれど、でもいろんな魚や海の生き物、静かに差し込む太陽光線。音がないようでいて――いつも遠くでさざめいている穏やかな波の音に満ちていて。

こんな明るい初夏の日には――まるで自分も海の中の生き物になったような、そんな気持ちがします。(出典: "Aqours DIARY 松浦果南より",「ラブライブ!サンシャイン!! FIRST FAN BOOK」, p.111)

 

 

 

それでも、独りは独りでも自然の中の命に囲まれた独りだからか、果南ちゃんの思索は暗い孤独の海に沈むことなく、外へと、人へと繋がっていきます。

 

・ここにはほかにはない少し変わった海の生き物やすごくきれいな水中の景色が広がっていて――ああ、みんなに見せてあげたいな♡(出典:"Kanan's Message", 「ラブライブ!サンシャイン!! FIRST FAN BOOK」, p.25)

・いつか一緒に海の中を散歩してくれる人ができたら嬉しい、な――。(出典: "Aqours DIARY 松浦果南より",「ラブライブ!サンシャイン!! FIRST FAN BOOK」, p.111)

 

 

こうして果南ちゃんの「独り」の時間によって育まれた詩情が外へ表現されていくのは、果南ちゃんにとって自然な流れであったと言えるのかもしれません。

 

③「好き」の表現が得意

 

17。これが何の数字かお分かりでしょうか。果南ちゃんの年齢? それも正解です。(「太陽と空が好きな、なんにも考えてない17歳です。」――CD「君のこころは輝いてるかい?」収録, ”はじめましてのご挨拶”より)

しかし、これは私が個人的に収集した、果南ちゃんが公式のソースで好きだと言ったものの数、いわば「果南ちゃんの好きなもの一覧」の項目数でもあります。

以下はその一部を示した私のツイートです。(宣伝)

入りきらなかった分は是非皆さんで見つけていただきたいです。

 

 

 

実際「好き」という表現を冠された以外のもの、ニュアンス的なものも含みますが、これはかなり多い方ではないでしょうか。(ほかのメンバーの分は数えてないのでわかりません)

 

また、スクフェスのメインストーリ―第一章第三話において、ダイヤ様が果南ちゃんについて「こう見えて意外と商売上手ですのよ」と言及します。それに対して果南ちゃんは「あはは。商売をしようっていうんじゃないんだ。ホントに海のことを知ってもらいたいだけでさ」と返しています。

このやり取りから、果南ちゃんの「好き」を表現するのが好き、という人間像が浮かび上がります。海が好きで、その良さを他の人にも知ってもらいたくてあれやこれやと話している内につい商売上手になってしまう――。そんな商売風景が目に浮かびます。果南ちゃんに押し売りされてぇ…。

 

また、果南ちゃんは人に対する「好き」を体で表現することも厭いません。ご存知果南ちゃんの「ハグ」ですね。果南ちゃんがハグ魔であることは、アニメ視聴オンリーのファンにも存分に伝わっていることかと思いますが、本当に果南ちゃんはハグが大好きな人です。果南ちゃんにとって、ハグは「好き」表現の一つの形なのでしょう。

 

アニメサンシャインでも自分の「好き」を表現するのが一番輝くんだー、的な話がありましたが、果南ちゃんの「好き」表現への嗜好が、作詞という表現によって形になろうとしていたのは自然なことだったのかもしれません。

こう考えると「千歌ちゃんと同じく作詞をしているから果南ちゃんが三年アイドルのリーダーなのではないか」という予想がもっともらしく見えますね。これは本編で描いてくれると信じているので深入りはしませんが。

 

また、ここで前述の「ホワイトボード式作詞」に繋がりますが、果南ちゃんにとって「好き」を表現するのは極めて自然なことだった、だから作詞をするのも普段やっていることとさして変わらないわけだから恥ずかしくない、よってホワイトボードで作詞が出来る!ということなのかもしれません。

 

以上に述べたような、果南ちゃんの持つ三つの性質が、作詞という表現に繋がりうるのではないかと考えられます。

果南ちゃんの詩的素養についての考察は以上です。果南ちゃんの書いた歌詞がこの先実際の楽曲としてリリースされることはあるのでしょうか? いずれにせよ楽しみですね。座して待ちましょう。

 

今回の記事は以上です。本記事が果南ちゃんの魅力に対する皆さんの気付きや理解を深めるきっかけとなれば、それ以上の幸せはありません。それでは失礼します。